1曲のことを、1000字語る。 | andymori “16”

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同じ「空」が、虚無と絶対美の両方になる

andymoriの「16」を聴き返すたびに、まず惹きつけられるのが「空(そら)」の使い方だ。この曲には二種類の空が現れる。

空っぽの空のむこうに
どこにもいけない彼女たち駅の改札を出たり入ったり

空がこんなに青すぎるとなにもかも捨ててしまいたくなる

同じ「空」という字が、まったく逆の意味として機能する。「空っぽ(からっぽ)の空」は虚無の容器だ。中身がない。むこう側もない。それを見上げても何もない。一方の「青すぎる空」は、中身どころか圧倒的な存在感に満ちている。残酷なほど美しい絶対者として、見る者を無化する。

虚無と絶対美が、同じ空のなかに同居する。何もないからこそ捨てたくなり、美しすぎるからこそ眠ってしまいたくなる。逃避の方向は逆向きなのに、辿り着く感情は同じ「捨てたい」「眠ってしまいたい」という消失への欲望。andymoriの「16」は、この二種類の空のあいだで揺れる若者の心を描き出している。

「どこにもいけない彼女たち駅」——文法を破る造語

冒頭近くに置かれる、この曲で最も特異な一行がここだ。

どこにもいけない彼女たち

駅の改札を出たり入ったり

「彼女たち」と「駅」が完全に一体化している。彼女たちは駅にいるのではなく、彼女たち自身が駅であり、駅自身が彼女たちなのだ。どこにも行けない人間と、どこにでも行ける場所が、同じ存在として溶け合っている

これは現代の風景としても痛切だ。交通網は発達し、新幹線でも飛行機でも世界中どこにでも行ける。なのに精神は同じ場所をループしている。改札を出たり入ったりするだけで、本当の意味で「行く」ことができない。物理的な移動の自由と、精神的な停滞のミスマッチを、この破格な日本語が一行で射抜いている。

「16のリズムで空をゆく」——タイトルの多義性

タイトルにもなっている「16」というキーワードは、この曲のなかで複数の意味を同時に運んでいる

16のリズムで空をゆく

最も直接的には16ビート——音楽用語のリズムパターン。停滞した日常のなかで、それでも刻まれ続ける拍。生きている限り止まらないビートとして、心臓の鼓動とも重なる。

次に16歳——若さの象徴。ティーンエイジャーの、まだ何者にもなれていない年齢。「歌い続けてから幾年が過ぎ」と冒頭で告げられているから、語り手はもう16歳ではない。過ぎ去った年齢としての16を、リズムだけが連れてきている。身体は大人になったのに、リズムだけが16のまま刻まれ続けている——この時間のねじれが、この曲の倦怠感を作っている。

そして「空をゆく」という表現が後に続く。リズムを乗せて空を進む——音楽の比喩として読めば、軽やかで美しい。けれど、「空をゆく」=昇天するという意味も微かに漂う。「このまま眠ってしまいたい」のすぐ近くで「空をゆく」が繰り返されることで、リズムに乗って消えていくような甘美な誘惑が滲む。

三つの嘘——抽象から社交辞令へ

この曲の構造を支えているのが、「嘘をつくのさ」というフレーズの三度の反復だ。

変れない明日を許しながら
なんとなく嘘をつくのさ

全然違うことを考えながら
「優しいんだね」って嘘をつくのさ

貰った花をまた枯らしながら
「今度呑もうね」と嘘をつくのさ

最初の嘘は「なんとなく」。具体的な内容のない、漠然とした嘘。世界全体に対する、輪郭のないずれ。

次は「優しいんだね」。これは相手への評価としての嘘だ。本当は優しいなんて思っていないのに、そう言ってしまう。他者への小さな迎合

そして最後は「今度呑もうね」。最も具体的で、最も社交的な嘘。日本人なら誰もが言ったことのある、空約束の典型。未来を約束する形で、本当は何も約束していない言葉。

抽象→対人評価→未来の約束、と嘘の対象が広がっていく。世界に対する漠然とした違和から、具体的な人間関係の摩擦回避まで、嘘は形を変えながら遍く生活を覆っていく。これらは悪意ある嘘ではなく、社会を生き抜くための潤滑油だ。けれど、それを潤滑油として認めなければ生きていけない世界の閉塞感が、反復によって積み上がっていく。

「貰った花をまた枯らしながら」——生と死の小さなサイクル

この曲で特に好きな一節がここだ。

昔の誰かに電話して
貰った花をまた枯らしながら
「今度呑もうね」と嘘をつくのさ

「貰った花」は、誰かからの好意の証だ。誰かが選んで、買って、渡してくれた花。好意を物質化したもの。そしてその花を「また枯らしながら」。「また」という副詞が痛い。一度ではない、何度も同じことを繰り返している

好意を受け取って、世話をせずに枯らす。次の好意を受け取って、また枯らす。生命を受け取っては死なせるサイクルを、語り手は自分の生活として認めている。これは植物の話に留まらない。人間関係も、約束も、夢も、同じように受け取っては枯らしてきたのかもしれない、という影が、この一行に滲む。

そしてその枯らす行為と並行して、「昔の誰かに電話して」「今度呑もうね」と新しい約束を振り出す。枯らしては約束し、約束しては枯らす。このループそのものが、語り手の生活なのだ。

「祈りを込めて歌うように/神様に会いにゆくように」——軽やかな宗教性

ラストへ向けて、曲は不意に宗教的な高みへと跳ね上がる。

祈りを込めて歌うように
神様に会いにゆくように
16のリズムで空をゆく
明日もずっと空をいくのさ

「祈り」「神様」——日常的な言葉遣いで進んできたこの曲が、最後に唐突に宗教の語彙を引き連れてくる。けれど構えていない。「ように」という比況の助詞で軽くつなぐ。祈りそのものではなく、祈るような気持ちで歌う。神様に会うのではなく、会いにゆくように空をゆく。

ここでまた、「空をゆく」の二重性が立ち上がる。音楽行為としての超越——歌うことが祈りになり、神に近づく行為になる。生の肯定としての軽やかな上昇。

しかし同時に、「空をゆく」が昇天のニュアンスを帯び始める。「神様に会いにゆく」とは、文字通りに読めば死後の世界へ向かうことでもある。直前で「このまま眠ってしまいたい」と歌った主人公が、神様に会いに行くと言うとき、それは生きるための祈りなのか、生から離脱するための祈りなのか、最後まで判別できない。

この判別できなさこそが、この曲の最も美しい部分だ。生と死、肯定と消失、祈りと諦念——すべてが軽やかな16ビートに乗って、空を進んでいく。重い決断を求めず、ただリズムだけが続いていく。

明日もずっと、空をいくのさ

andymoriの「16」は、停滞することと進むことが同時に成立しているという、矛盾の中にある若さの一瞬を、決して大げさにせずに刻みつけた曲だ。

どこにもいけない彼女たちは、駅の改札を出たり入ったりする。なんでもない日を繰り返し、嘘をつき、貰った花を枯らす。なにも進んでいない。なのに、16のリズムだけは止まらず刻まれ続ける。前進していないのに、時間だけは前に進む——この矛盾を、この曲は責めない。許す。

「変れない明日を許しながら」——この一行に、この曲の倫理が凝縮されている。変わらないことを、自分に許す。変わることを強要しない。停滞を罪と決めつけない。それでもリズムは刻まれていて、空は青すぎたり空っぽだったりして、人は空を見上げて何かを思う。それで十分なのだ、と曲は静かに告げる。

「明日もずっと空をいくのさ」——ラストの一行は、決意でも約束でもない。ただの事実の確認だ。明日も、空を行く。何かが変わるわけでもない。何かが解決するわけでもない。ただ刻まれ続けるリズムの中で、また一日が過ぎていく

聴き終えたあとに残るのは、爽快感でも絶望でもなく、どちらでもない、軽やかな停滞だ。それこそが、andymoriの「16」が描き出した、若さの最も正直な姿なのかもしれない。

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andymori

オフィシャルサイト:https://andymori.com/

※内容は独自の解釈に基づくものであり、特定の正解を定義する意図はありません。

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